会社帰り。サティの本屋で雑誌を買い、食料品で夕飯を見ている時。
emiy嬢からメールが入りました。
中身はいろいろ書いてあったんだけど、最後の文。
「私は今日も更にバカしたよ~(^_^;)
アリーナがスベシャルだったなんてすっかり忘れて、無印アリーナ買ってきちゃった」(メール文そのまま引用)
………
はぅ!!!!!!!
はーい、自分も同じ事やってました(爆笑)
急いで本屋に急行!!無事に交換してもらいました……
いや~調べておけよって思った自分。
全く告知確認してなかったので(笑)
emiy嬢に大感謝です!!ありがとー♪
で、即座に電話をして、二人で大爆笑したのでした♪
以下ネタバレなので反転しまーす。
電話で「64ページ、苓樹は絶対に反応するよ」
って言われてたんですよ(笑)なんだろー?と思って開いたら、
他の問いなんて目もくれず(オイ)
「コンタクトレンズ&眼鏡」
に目がいっちゃったよ(笑)
元眼科検査員なのでw今でも電車の中とかでバレないように目の中のコンタクトレンズをみてしまいます…
一応自分が思ってるのは、直さんは近視はそんなに酷くなく、乱視が酷いということ。
普通ね、いくら矯正してないからといって、ステージ上で暴れまわるのに近視酷かったら落ちるから(^_^;)だから見た目からして視力が悪いのは近視ではなく乱視のせい。乱視が酷いのは視力表のランドルト環(Cみたいなの)もちろん見えないですが、2重3重に見えて識別できないだけ。なので物の距離感は掴めるんですよ。
「眼球が人よりデコボコしてて」っていうのは…どうなんだろう。
私はあまり見たことないですが、「正乱視」「不正乱視」とありまして、
「不正乱視」は疾患。どうやってもハードCLでしか視力がでないのです。
眼鏡でも視力でませんよ。なので「正乱視」と思う。
「正乱視」というのは、目がラグビーボールのようになってしまってる事。乱視が無い人は普通の球です。
例えばラグビーボールを横に置いたのを正面から見たとします。
( )←こんな。分かる??(笑)
目の形状を見ると、縦軸はキツくて、横軸がユルイんです。
そうすると、光の入り方が違うので、網膜に画像を映し出すときに
光が別々の所に結んでしまうので、物が2重に見えてしまうのです。
きっとハードを進められてる所からみれば、直乱視(180°)なんだろうな。倒乱視(90°)だとハードにしたって見えないからね。
直乱視(チョクランシ)は角膜の歪みなので、ハードレンズのような硬いレンズを乗せてあげれば歪みを涙がカバーしてくれるので見やすくなります。
倒乱視(トウランシ)は水晶体の歪みなので、いくら硬いレンズを乗せようが直るわけありません。
ただ、あまりに縦軸と横軸の差がありすぎる場合、ハードをつけるとどうしてもシーソーのようになってしまいます。そして一点だけを支えてしまうのでどうしてもキズがついてしまうんです。それが痛いんだよ。安定しないし。そのような場合、ハードでもバックトーリックといって、レンズが楕円形になっているCLもあるんだけど、処方がとっても難しくて一発で決まる事は無いに等しい。
と、語ってしまったけどこんなのついてこれる人いないよね(笑)
とにかく、直さん…例え合うコンタクトがあったとしてもつけないでください(笑)
だって…ライブ中あんだけ汗が目に入るし、暴れるから角膜剥離だけじゃすまなくなるもん絶対(笑)
眼鏡ですむなら眼鏡がいいよ、絶対!!
眼鏡もレンズ高いんだろうなー乱視キツイから。
…斜乱視だったら…ホント大変だ…
マジで直さんのレフケラみてみたいなー(笑)
レフケラ=視力はかるまえに、機械で測るもの。んと…気球の絵とか、草原の中に家が立ってたりとか…見たことありません??あれ。レシートみたいに出ているデータをオートレフケラトメーター(レフケラ)といいます。レフは屈折率。ケラトは眼球の形状。
この機械で視力は分かりませんので…。よく患者さんに「視力いくつですか?」と聞かれたもんです(笑)
視力とは、あくまでもランドルト環等、視力表で図った0.1とか1.2とかいうもので、屈折率とはコンタクト等でいう度数の事。-4.25とかー7.00とかね。
屈折率が-2.00の人で、0.1のCが見えない人がいたり、
屈折率が-4.00の人で、0.2のCが見えてしまう人も居ます。
屈折率0.00の人は正視の人で、矯正に必要が無い人。
数字の値がマイナスの方向に大きくなっていくと近視が強いといいます。
ちなみに強度近視は-6.00より上の人。
あーだめだ。とまらなくなるのでこの辺で止めよ(笑)
続きでは打って変わって暗い内容になりますので…
1年前の今日の事を書きます。
emiy嬢からメールが入りました。
中身はいろいろ書いてあったんだけど、最後の文。
「私は今日も更にバカしたよ~(^_^;)
アリーナがスベシャルだったなんてすっかり忘れて、無印アリーナ買ってきちゃった」(メール文そのまま引用)
………
はぅ!!!!!!!
はーい、自分も同じ事やってました(爆笑)
急いで本屋に急行!!無事に交換してもらいました……
いや~調べておけよって思った自分。
全く告知確認してなかったので(笑)
emiy嬢に大感謝です!!ありがとー♪
で、即座に電話をして、二人で大爆笑したのでした♪
以下ネタバレなので反転しまーす。
電話で「64ページ、苓樹は絶対に反応するよ」
って言われてたんですよ(笑)なんだろー?と思って開いたら、
他の問いなんて目もくれず(オイ)
「コンタクトレンズ&眼鏡」
に目がいっちゃったよ(笑)
元眼科検査員なのでw今でも電車の中とかでバレないように目の中のコンタクトレンズをみてしまいます…
一応自分が思ってるのは、直さんは近視はそんなに酷くなく、乱視が酷いということ。
普通ね、いくら矯正してないからといって、ステージ上で暴れまわるのに近視酷かったら落ちるから(^_^;)だから見た目からして視力が悪いのは近視ではなく乱視のせい。乱視が酷いのは視力表のランドルト環(Cみたいなの)もちろん見えないですが、2重3重に見えて識別できないだけ。なので物の距離感は掴めるんですよ。
「眼球が人よりデコボコしてて」っていうのは…どうなんだろう。
私はあまり見たことないですが、「正乱視」「不正乱視」とありまして、
「不正乱視」は疾患。どうやってもハードCLでしか視力がでないのです。
眼鏡でも視力でませんよ。なので「正乱視」と思う。
「正乱視」というのは、目がラグビーボールのようになってしまってる事。乱視が無い人は普通の球です。
例えばラグビーボールを横に置いたのを正面から見たとします。
( )←こんな。分かる??(笑)
目の形状を見ると、縦軸はキツくて、横軸がユルイんです。
そうすると、光の入り方が違うので、網膜に画像を映し出すときに
光が別々の所に結んでしまうので、物が2重に見えてしまうのです。
きっとハードを進められてる所からみれば、直乱視(180°)なんだろうな。倒乱視(90°)だとハードにしたって見えないからね。
直乱視(チョクランシ)は角膜の歪みなので、ハードレンズのような硬いレンズを乗せてあげれば歪みを涙がカバーしてくれるので見やすくなります。
倒乱視(トウランシ)は水晶体の歪みなので、いくら硬いレンズを乗せようが直るわけありません。
ただ、あまりに縦軸と横軸の差がありすぎる場合、ハードをつけるとどうしてもシーソーのようになってしまいます。そして一点だけを支えてしまうのでどうしてもキズがついてしまうんです。それが痛いんだよ。安定しないし。そのような場合、ハードでもバックトーリックといって、レンズが楕円形になっているCLもあるんだけど、処方がとっても難しくて一発で決まる事は無いに等しい。
と、語ってしまったけどこんなのついてこれる人いないよね(笑)
とにかく、直さん…例え合うコンタクトがあったとしてもつけないでください(笑)
だって…ライブ中あんだけ汗が目に入るし、暴れるから角膜剥離だけじゃすまなくなるもん絶対(笑)
眼鏡ですむなら眼鏡がいいよ、絶対!!
眼鏡もレンズ高いんだろうなー乱視キツイから。
…斜乱視だったら…ホント大変だ…
マジで直さんのレフケラみてみたいなー(笑)
レフケラ=視力はかるまえに、機械で測るもの。んと…気球の絵とか、草原の中に家が立ってたりとか…見たことありません??あれ。レシートみたいに出ているデータをオートレフケラトメーター(レフケラ)といいます。レフは屈折率。ケラトは眼球の形状。
この機械で視力は分かりませんので…。よく患者さんに「視力いくつですか?」と聞かれたもんです(笑)
視力とは、あくまでもランドルト環等、視力表で図った0.1とか1.2とかいうもので、屈折率とはコンタクト等でいう度数の事。-4.25とかー7.00とかね。
屈折率が-2.00の人で、0.1のCが見えない人がいたり、
屈折率が-4.00の人で、0.2のCが見えてしまう人も居ます。
屈折率0.00の人は正視の人で、矯正に必要が無い人。
数字の値がマイナスの方向に大きくなっていくと近視が強いといいます。
ちなみに強度近視は-6.00より上の人。
あーだめだ。とまらなくなるのでこの辺で止めよ(笑)
続きでは打って変わって暗い内容になりますので…
1年前の今日の事を書きます。
1年前の今日、上司から聞かされた。
お世話になったマネージャーが亡くなったこと。
初めて就職して入った会社で、入社当初から教えて貰っていた人でした。
優しくて、嫌味が一つもなくて。
検査の技術は経験が豊富なので当たり前ですが、上に立つ人としてとても尊敬できる人でした。上に立つということは、従業員との対立も避けられない立場です。会社に対して不満を持っている従業員がほとんどで、私もその一人でした。
直接は言った事はないけれど、それぞれの意見は耳に入っていたようで一生懸命解決しようとしていたようでした。
私は池袋で働いていたのですが、別店舗があり、一昨年の秋ぐらいにマネージャーは別店舗に移動になりました。別店舗の方が本店なので忙しくて仕事も大変。それなのに、去年の2月3月ぐらいに管理職3人が一気に辞表を提出…。きっとそれも大きな負担の一つ。そして私たちの不満も。。。
元々、風邪を引いてもなかなか医者に行かなかったみたいで、2日か3日前に電車で倒れたって聞きました。私が一緒に働いてる時は具合悪いなんて記憶が無かったからとてもビックリしました。
別店舗はとても雰囲気が悪くなっていたので、池袋のマネージャーが手伝いに行っていたのです。帰ってもいいと言っても仕事を23時過ぎまでやっていたそうです…。
次の日から音沙汰がなくて。携帯に電話しても、自宅に電話しても返事がなくて…。池袋のマネージャーがFAXで「辛かったら言ってくれ」と書いて送っていたそうです。
いつも無断で欠勤する人じゃないからみんな心配していたのに、
理事長は「無断欠勤」と決め付けていたらしく、もう同じ人間であることが信じられなかった……
総括マネージャーに連絡が入り、マネージャーのお姉さまから亡くなったと……。それを就業後、聞かされました。
私は「え…」としか声が出なかった。泣いてる人もいたけど、私はただ信じられなかった。
着替えて帰る時、一人になって、辛くて……
家に帰っても落ち着く事もできずにその日休みだった同僚にメール。
電話番号知らなかったから、「番号教えて」って。
だって、メールでなんか知らせるなんて出来なかった。
だから、泣きながら…グズグズだったけど伝えた。
同僚も信じられなくて「…ちょっと待って…えー…?」って。
1年前だけど忘れてない。
同僚だから思い出もすごく似てるからね、なんかさ…気持ちが一緒で。
次の日。朝とてもじゃないけど家に居れなくて早めに会社に行った。
そしたら途中で同僚に会って。風邪ひいてた。
「まだ…信じられなくてさぁ…」二人で話した。
会社に行ったら、どちらかが別店舗へヘルプに行く事に。
同僚は風邪ひいてたので私が行くことにした。
電車の中。別店舗の雰囲気がどうなってるのか…とっても複雑だった。
数日前まで一緒に働いていた人。その人が居なくなって笑顔ができるのか…と。
着いてみたら案の定、受付のみんなは無理して笑ってる。
患者さんには感づかれてはだめだからね。
いつもはヘルプに行くと、「助かるよー!」って迎えてくれてたマネージャーがいない…それが辛かった。
そればかり考えてはいられない。仕事を必死にこなした。だって…忙しいんだから、別店舗は。
休憩時間、パートの人と話して泣けてしょうがなかった……
どうやら、まだ知らさせていなかった人も居たらしく、
「今日もお休み?」って聞かれて困っている人もいた。
知らされてなかった人の就業後、池袋のマネージャーから聞かされた。
みんな、泣いてた……そうだよね…数日前まで一緒に働いてたもんね…
こんなときなのに、理事長は4月の点数改正の事で頭がいっぱい。
それが本当に許せなかった…。今思えば経営者として当たり前なのかもしれないけどさ…でも、でもさ…なんでなんだよと思った。
ご家族に無理を言ってお願いをした。お通夜に行かせてくださいと。
うちは年中無休で、終わる時間がとても遅くて。すごい迷惑だったと思う。それに…無理をさせてしまった職場だもの。でも快く迎えてくれた。
遺影を見て、すごく笑顔で…辛かった…
「顔も見てください」
って言われたけど、涙で見えなかった…ごめんなさい…
ひいおばあちゃんが亡くなったときは90歳を超えていて大往生だった。
父方のおばあちゃんは生きてる時に合ったのは保育園の時1回だけで、記憶がなかったからお葬式は行ったけど、感情がなくて寂しかった。。。
身内の死がここまで悲しくなったのはこの時がはじめてでした。
声出して泣いてたら、池袋のマネージャーに頭ポンポンってされて
ますます号泣してしまった。。。
つらいのに、奥さんは気丈に振舞っていて…すごいって思った。。。
帰り道はみんなで思い出話。
でもやっぱり言うのは「信じられないなぁ…」って。
だってまだ33歳だったもの…。
まだ笑顔で職場で会えそうでね…。
最初のうちは、カルテに書いてる字で気分も落ちていたな。
でも1ヶ月2ヶ月と経つと、元々字がそんなにうまい人じゃなかったから
「読めない~(笑)」って言える程になった…
過去の自分の日記をみるとね、なんて我侭だったんだろうって思う。
職場の、他の人がどれだけ苦労してるのかも気づかないで、
自分の言いたいことだけ言っていて。
みんな嫌なのを良いことに…。
改善するのは難しかったけど、自分の意見だけ言うだけ言ってただけ。
ホント、ただの我侭だよね。
嫌な仲間を作って言うだけ言ってやめていく…
なんてバカなんだろうって思う。
私、本当は今年の3月で前職をやめる予定でした。
でもいろいろあって去年10月いっぱいで辞めた。
でも…自分で葛藤があったんだ…
自分が今辞めたら、他の人に重荷が行くし先に辞めたいと行っていた人が辞められなくなる…。もう人に負担だけをかけるのは嫌だと…
そう思ってたけど、身体が言うこときかなかった。
結局、引継ぎもままならないまま退職。
本当にあわせる顔がなかったよ…
なのに、辞めてから数回手続きで職場に顔を出したけど、
笑顔で迎え入れてくれたんだ。
それに、私が居ないと検査がだらけてるんだよーとまで言われた。
私は私なりに自分のことだけで精一杯で、周りなんて見てる暇はなかったけど…それなりについてきてくれてた人が居たことにちょっと嬉しくなったよ。
マネージャーが教えてくれた事。ちょっと自己流になっていたけど(^_^;)
基礎は後輩にそのまま教えたつもりです。
マネージャーのようにまとめることはできなかったけど。
すっごく辛かった職場だった。
でも、1度も人生の無駄だったとは思っていない。
むしろこの経験があったから今があるんだと、思います。
ダラダラと脱線しちゃったけど、絶対に忘れちゃいけない日。
まだまだ弱くて思い出しては泣いてしまう日もあるけど、
マネージャーに出会えてよかったと思っています。
ありがとう、ございます。。。
お世話になったマネージャーが亡くなったこと。
初めて就職して入った会社で、入社当初から教えて貰っていた人でした。
優しくて、嫌味が一つもなくて。
検査の技術は経験が豊富なので当たり前ですが、上に立つ人としてとても尊敬できる人でした。上に立つということは、従業員との対立も避けられない立場です。会社に対して不満を持っている従業員がほとんどで、私もその一人でした。
直接は言った事はないけれど、それぞれの意見は耳に入っていたようで一生懸命解決しようとしていたようでした。
私は池袋で働いていたのですが、別店舗があり、一昨年の秋ぐらいにマネージャーは別店舗に移動になりました。別店舗の方が本店なので忙しくて仕事も大変。それなのに、去年の2月3月ぐらいに管理職3人が一気に辞表を提出…。きっとそれも大きな負担の一つ。そして私たちの不満も。。。
元々、風邪を引いてもなかなか医者に行かなかったみたいで、2日か3日前に電車で倒れたって聞きました。私が一緒に働いてる時は具合悪いなんて記憶が無かったからとてもビックリしました。
別店舗はとても雰囲気が悪くなっていたので、池袋のマネージャーが手伝いに行っていたのです。帰ってもいいと言っても仕事を23時過ぎまでやっていたそうです…。
次の日から音沙汰がなくて。携帯に電話しても、自宅に電話しても返事がなくて…。池袋のマネージャーがFAXで「辛かったら言ってくれ」と書いて送っていたそうです。
いつも無断で欠勤する人じゃないからみんな心配していたのに、
理事長は「無断欠勤」と決め付けていたらしく、もう同じ人間であることが信じられなかった……
総括マネージャーに連絡が入り、マネージャーのお姉さまから亡くなったと……。それを就業後、聞かされました。
私は「え…」としか声が出なかった。泣いてる人もいたけど、私はただ信じられなかった。
着替えて帰る時、一人になって、辛くて……
家に帰っても落ち着く事もできずにその日休みだった同僚にメール。
電話番号知らなかったから、「番号教えて」って。
だって、メールでなんか知らせるなんて出来なかった。
だから、泣きながら…グズグズだったけど伝えた。
同僚も信じられなくて「…ちょっと待って…えー…?」って。
1年前だけど忘れてない。
同僚だから思い出もすごく似てるからね、なんかさ…気持ちが一緒で。
次の日。朝とてもじゃないけど家に居れなくて早めに会社に行った。
そしたら途中で同僚に会って。風邪ひいてた。
「まだ…信じられなくてさぁ…」二人で話した。
会社に行ったら、どちらかが別店舗へヘルプに行く事に。
同僚は風邪ひいてたので私が行くことにした。
電車の中。別店舗の雰囲気がどうなってるのか…とっても複雑だった。
数日前まで一緒に働いていた人。その人が居なくなって笑顔ができるのか…と。
着いてみたら案の定、受付のみんなは無理して笑ってる。
患者さんには感づかれてはだめだからね。
いつもはヘルプに行くと、「助かるよー!」って迎えてくれてたマネージャーがいない…それが辛かった。
そればかり考えてはいられない。仕事を必死にこなした。だって…忙しいんだから、別店舗は。
休憩時間、パートの人と話して泣けてしょうがなかった……
どうやら、まだ知らさせていなかった人も居たらしく、
「今日もお休み?」って聞かれて困っている人もいた。
知らされてなかった人の就業後、池袋のマネージャーから聞かされた。
みんな、泣いてた……そうだよね…数日前まで一緒に働いてたもんね…
こんなときなのに、理事長は4月の点数改正の事で頭がいっぱい。
それが本当に許せなかった…。今思えば経営者として当たり前なのかもしれないけどさ…でも、でもさ…なんでなんだよと思った。
ご家族に無理を言ってお願いをした。お通夜に行かせてくださいと。
うちは年中無休で、終わる時間がとても遅くて。すごい迷惑だったと思う。それに…無理をさせてしまった職場だもの。でも快く迎えてくれた。
遺影を見て、すごく笑顔で…辛かった…
「顔も見てください」
って言われたけど、涙で見えなかった…ごめんなさい…
ひいおばあちゃんが亡くなったときは90歳を超えていて大往生だった。
父方のおばあちゃんは生きてる時に合ったのは保育園の時1回だけで、記憶がなかったからお葬式は行ったけど、感情がなくて寂しかった。。。
身内の死がここまで悲しくなったのはこの時がはじめてでした。
声出して泣いてたら、池袋のマネージャーに頭ポンポンってされて
ますます号泣してしまった。。。
つらいのに、奥さんは気丈に振舞っていて…すごいって思った。。。
帰り道はみんなで思い出話。
でもやっぱり言うのは「信じられないなぁ…」って。
だってまだ33歳だったもの…。
まだ笑顔で職場で会えそうでね…。
最初のうちは、カルテに書いてる字で気分も落ちていたな。
でも1ヶ月2ヶ月と経つと、元々字がそんなにうまい人じゃなかったから
「読めない~(笑)」って言える程になった…
過去の自分の日記をみるとね、なんて我侭だったんだろうって思う。
職場の、他の人がどれだけ苦労してるのかも気づかないで、
自分の言いたいことだけ言っていて。
みんな嫌なのを良いことに…。
改善するのは難しかったけど、自分の意見だけ言うだけ言ってただけ。
ホント、ただの我侭だよね。
嫌な仲間を作って言うだけ言ってやめていく…
なんてバカなんだろうって思う。
私、本当は今年の3月で前職をやめる予定でした。
でもいろいろあって去年10月いっぱいで辞めた。
でも…自分で葛藤があったんだ…
自分が今辞めたら、他の人に重荷が行くし先に辞めたいと行っていた人が辞められなくなる…。もう人に負担だけをかけるのは嫌だと…
そう思ってたけど、身体が言うこときかなかった。
結局、引継ぎもままならないまま退職。
本当にあわせる顔がなかったよ…
なのに、辞めてから数回手続きで職場に顔を出したけど、
笑顔で迎え入れてくれたんだ。
それに、私が居ないと検査がだらけてるんだよーとまで言われた。
私は私なりに自分のことだけで精一杯で、周りなんて見てる暇はなかったけど…それなりについてきてくれてた人が居たことにちょっと嬉しくなったよ。
マネージャーが教えてくれた事。ちょっと自己流になっていたけど(^_^;)
基礎は後輩にそのまま教えたつもりです。
マネージャーのようにまとめることはできなかったけど。
すっごく辛かった職場だった。
でも、1度も人生の無駄だったとは思っていない。
むしろこの経験があったから今があるんだと、思います。
ダラダラと脱線しちゃったけど、絶対に忘れちゃいけない日。
まだまだ弱くて思い出しては泣いてしまう日もあるけど、
マネージャーに出会えてよかったと思っています。
ありがとう、ございます。。。
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